「良い子になれない私でも」

森田恭一郎牧師

(ルカ7・36-50)

イエス様はファリサイ派のシモンという人に招かれて、シモンの家で食事の席におつきになりました。しばらくすると或る女の人がお家に入ってきました。家にいたシモンはその女の人を見ると、「アッ、この人は罪深い女の人だ。私の家にこんな人が入ってきて…」と思いました。そして見ていると、この女の人はとっても不思議なことをし始めました。香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからそぉっとイエスの足元に近寄り、泣きながらその足を主イエスの足を涙でぬらし始め、それから濡れた足を、今度は自分の髪の毛でぬぐい、涙をぬぐった主イエスの足に今度は接吻して口づけして、石膏の壺から香油を振りかけて主イエスの足に香油を塗ったのでした。普通、そんなことしません。香油を持ってきて相手の足に塗るなんて、涙でぬらすなんて、それを髪の毛でぬぐうなんて、普通はそんなことしません。イメージ出来ないくらい不思議なことです。

ところで、話は変わりますが、幼稚園や学校で、こんなことありませんか。「アッ、消しゴム忘れた。ねえ、ねえ、ちょっと消しゴム貸してくれない?」「消しゴム? いいよ、貸してあげる。ハイ、これ」。消しゴム使い終わったらどうしますか? (「有り難う」)。そうだね。「貸してくれて有難う」。それから、返します。正解です。借りた消しゴム、返さないで自分のポケットに入れちゃったらどう? (「ダメダメ」)。駄目だよね、有難うと言って借りたものはちゃんと返さなければなりません。

それでもし返さなかったら、貸した方はどうなりますか。「なんで返してくれないんだよ、それ、僕んだよ、私のだよ、早く返してよ」。何か、怒れてくる。借りた方は「そんな怒らないでよ、消しゴムぐらいいいじゃん」。いけませんね。借りたものはちゃんと返さないといけません。

今日、イエス様は不思議なお話をしました。

ある人が「すいません。お金が足りなくて困っているんです。五十万円貸してくれませんか」。

今日はここに小さいですけれど、宝物が入っている袋を持ってきました。五十万円分の宝物が入っています。(この袋を掲げて)「五十万円分の宝物、これ貸してあげる」。「有難うございます」。そうしたら別の人が「すいません、五百万円貸してくれませんか」。「五百万円貸してあげよう。五十万円の袋を一つ二つ三つ…十、ハイ、これでこの大きな袋に五百万円分入っていますよ。大事にして下さいよ」。「有難うございます」。

このお金を貸す人は、困っているこの二人に五十万円と五百万円、貸してあげました。借りたらどうするの? 返すのでしたね。それで、二人はこれを元手に商売して儲けて、返すはずだったんだけど、世の中うまくいかないことがあって、使うだけ使ってしまって返せなくなりました。(「あかんで」)。どうする? 返せない。

聖書には何て書いてある? 二人には返す金がなかったので、金貸しは、何と、何と、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。帳消しにしてあげました。返さなくてもいいよ、ということです。「返さなくてもいいの? 本当? 良かった。助かった。本当だったら、返さなかったら、沢山叱られてしまうところだった。ほっとした」と喜んだと思います。だけど、それにしても、お金を貸した人が何で帳消しにしてあげるのでしょう?五十万円、五百万円ですよ。五五〇万円も返さなくていいよだなんて、普通あり得ません。何で、この人、帳消しに出来たのだろう?

それは、ここの聖書には書いてないんですけれど、ある秘密がある。それは、「私が代わりに返してあげましょう」という人がいたんです。金貸しに「はい、五十万円どうぞ、はい、五百万円どうぞ」。これを難しい言葉で連帯保証人と言います。この人がいてくれるので、金貸しは「帳消しにしてあげる」と言えました。実は、イエス様がこのお話をなさりながら、それが私なのだとお思いなられていたに違いありません。

さてさて、借りたら返さなければいけない。でも返せなくなる時がある。この金貸しを神様だと考えて下さい。お金を借りた人を罪深い人たちと考えて下さい。それは私たちみんなです。私たちは神様から借りているんです。何を借りたかな、何も借りていないよと思うかもしれない。でも借りている。こういうお金ではない。どういうものを借りているかというと、色々な恵みです。一番借りているのは、私たち自分の命です。自分で作ったんだったら自分のものかもしれない。でも、この命は自分で作りましたか? これは神様が造って下さった命です。だから命を生きているということは、この命を神様から貸して戴いているのです。

これは子どもだけではありません。大人も同じです。親にとっても同じです。子供が生まれた、おめでとう。子どもの命、これは親のものですか? 親から生まれた子どもだから親のものですか? 違います。親が作ろうと思って作れる命ではない。やっぱり、神様がお造りになった神様から授かった命です。だから神様のものです。神様からの子どもの命をお借りしているのですから、それを授かって育てます。だから神様に喜んで戴けるように命を育てるのが親の責任です。自分の思い通りにしてはいけません。思い通りにならないからといってカーッと怒ってはいけませんね。神様のものだと思って、最後は神様にお返しするのだと思って大事にします。

それで、自分の命も子どもの命も、お返しできますか。出来ません。お返しできない命を、イエス様が、代わりに返してあげると言って下さって、十字架にかかってご自身の命を神様にお返し下さいました。イエス様が代わりに返して下さった。本当は自分が返さなければならないのに。このことを知ったらどうしますか? 「イエス様に有難う」という気持ちになります。この有難うの気持ちを表したのが、今日のこの女の人のやったことです。有難うの気持ちで後ろからイエスの足元に近寄り、有難うの嬉しい涙を流しながら、最後には高価な香油を塗ったのですね。

でも、先ほど、五十万円、五百万円借りたという話をしましたが、私たちが神様からお借りしているのは、五十万円だけですか? 五百万円だけですか? 命ですよ、私たちがお借りし、代わりに返してもらったのは。他にも色々お借りして、もっともっとです。本当はイエス様は、もっと大きな袋に入るだけの、幾つもの袋をもっともっと、返して下さる。中学生になったら数学で習う言葉でいうと∞、無限大です。

無限大、イエス様は返して下さった…。ただ、それに気が付くのは人によって違う。イエス様を食事に招待したシモンは、私は大して悪いことなんかしていない、借りてなんかいないよ、五十万円も借りていたとも感じてはいなかっただろう。罪深い女と言われるこの人は、日頃から、お前は罪深い女だと言われていたので、さすが、神様から沢山怒られなくちゃいけないのに、何もお返しできていないと気づいていた。私の罪は五十万円ぽっちではない。こんなに、五百万円分位はある。良い子になれない私、良い人になれない私なのに、あなたのような神が他にあろうか。咎を除き、罪を赦される神が(ミカ七・一八)。こんなに返して戴いたと五百万円分くらい思って、一生懸命、精一杯、主イエスの足に香油を塗った。そのようにイエス様に「有難う」と思える人になりました。

それでイエス様はこう仰いました。この女の人は、罪深いと言われているが、五百万円分、罪が赦されていることに気付いて、「この人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさで分かる」。シモン、君はどのくらい気付いたのか。五十万円分くらいか。「赦されることの少ない者は、愛することも少ない」。 イエス様は私たちの罪を無限大赦して下さっています。だから「あなたの罪は赦された」と言われた。

これを見ていた周りの人は、こんなにたくさん「罪まで赦すこの人は、一体何者だろう」と考え始めた。皆さんも教会においでになったら、このイエス様って一体誰だろう、と考えてみて下さい。そうしたら段々答えが解ってきて、教会に来て良かったなと思えるようになるに違いありません。

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