「真ん中に出なさい、手を伸ばしなさい」

森田恭一郎牧師

(ルカ6・6-11)

今日も礼拝にようこそお出で下さいました。

今日の聖書個所でイエス様は「手を伸ばしなさい」と仰いました。皆さん、手を伸ばしてみましょう。まず左手。前に。上に。それから左手はそのまま今度は右手も。前に。上に。万歳って両手を挙げられました。こうやって手を高く上げると、何だか心が開く感じがしませんか。手を下ろしてー。

今日の聖書に登場する人は、右手を挙げることが出来ません。右手の指を動かすことも出来ません。動かそうと思っても動きません。神様は私のことなんかお見捨てになってしまわれたのかと、気持ちはうつむいたままで、心は何だか閉じたままです。礼拝には出席しますが、いつも後ろの方の目立たない所にいました。

この日も会堂に来ました。すると間もなくイエス様が会堂に入ってこられて、そうしたらこの人を見出しました。そして、仰るではありませんか。「立って、真ん中に出なさい」と。びっくりして「えっ、私?」と戸惑っていると、「そうだ、あなただ。立って、真ん中に出なさい」。それで立ち上がって、恐る恐る真ん中に出て行きました。イエス様は何を為さろうというのでしょう。

イエス様は会衆みんなに言われました。「あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか」。安息日というのは、キリスト教会でいうなら礼拝をささげるための日曜日のことです。安息日は礼拝をささげるために特別に取っておく日ですから、仕事はしないようにしよう、と決まっていました。お医者さんもその日には病気を治したりしません。

でも今、目の前に、右手が動かなくて、悲しんでいる人、心が閉じている人がいるんです。どうしてあげたらいいのですか。善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。

答えははっきりしています。そして、彼ら一同を見回しました。そして、仰いました。「手を伸ばしなさい!」。 

右手の動かなかった人はまたびっくりしました。「手を伸ばしなさいなんて言われなくても、これまでどれだけ伸ばそうとしてきたか。だけど全然、動かなかったんだ」、一瞬、そう思ったかもしれません。でも、この人、この日は、何故か、そう思わなかった。「どうせ駄目だよ」とは思わなかった。代わりにどう思いましたか? そしてどうしましたか? 言われた通りにすると、手は元通りになった! 言われた通りにしたら、この右手が、動かなかった右手が動いた。不思議なことに動いた。手が動くようになる奇跡が起こりました。神様は、私を忘れないでいて下さったんだ。「医者を必要とするのは健康な人ではなく病人である。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」。

でも、不思議なことは、それだけではありません。「どうせ駄目だよ」って思わないで、伸ばしてみようと思い、そして実際に伸ばそうとしたことです! そのように心が開いた。これも奇跡ですよ。イエス様が「手を伸ばしなさい!」と仰ったとき、この人の中に「はい!」って返事する気持ち、「イエス様、信じます」と信じる心、「信じていくぞ」という思いが、不思議と湧いて来た。というか、そういう意志がイエス様の方から、ボーンと入って来た。

それで「よし、伸ばすぞ」と伸ばしてみると、不思議不思議、手が伸びた! 左手は元々伸ばせます。そして今日、右手も伸ばせました。両手で、まっすぐに! 嬉しかったでしょうね。思わず、でも思いを込めて「イエス様有難うございます」。

会堂の人たちも、みんなとても喜んだと思います。「わぁ、治してもらって良かったねぇ、イエス様がここに来て下さって、イエス様に向かって手を伸ばすことが出来て、救ってもらえたね」。この日、みんな思いました。安息日って、神様の御業が起こって、イエス様をみんなで喜ぶ日だね。イエス様は安息日の主だね。神様の御心は、正義を行い、慈しみを愛し、遜(へりくだ)って神と共に歩むことなんだね、とみんな思いました。

「イエス様有難うございます」、そう言って、伸ばした手は、イエス様の御業と愛を指し示す手になりました。この人の手はもうただの手ではありません。イエス様が治して下さった手です。イエス様を指し示す手です。みんなも、一緒になって、両手を挙げて「イエス様有難う」。皆さん、一緒に両手を挙げてみましょう。両手を挙げるというのは、イエス様に心を開くことの表れです。この日、起こった不思議は、この右手の動くようになった人にだけ、ではありません。他のみんな、イエス様に心を開いてイエス様を指し示すように一緒に両手を挙げた。この日起こった不思議は、喜びに満ち溢れた皆さんを包み込みました。

そうやって会堂の人たちはみんな喜んだと思います…が、あれっ? 不思議、もう一つ不思議。でも何だか変な不思議。みんなが喜んだのではなかったみたいです。一一節「ところが、彼らは怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った」。この彼ら、律法学者たちやファリサイ派の人々のことです。安息日は礼拝する日だから仕事はしてはいけない、それが律法の決まりだ、だからイエスは良くない、と固く思い込んでいた人たちです。こちらの人たちこそ、心が閉じています。

イエス様を両手で指し示して「有難う」と言った人たちは、イエス様がそうだったように、病気の人のことを優しく見つめる心を持てました。でもこの律法学者たちは、イエス様のことを喜べないで、残念なことに優しく見つめる心を持てなかったようです。逆に何とかしようと話し合うようになりました。それでイエス様を十字架へと追いやったのでした。

「安息日に善を行うのと悪を行うのと、どちらがいいか。命を救うことか、滅ぼすことか」。この問いかけは、心を固くしている人々へのイエス様の命をかけた激しい問いかけです。

「手を伸ばしなさい」のイエス様の御言葉は、手の不自由な人が神様の救いを受けて、心開かれて感謝しながら生きる者となることへの、イエス様の、命をかけた強い願いと愛が込められた招きの御言葉です。

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